生涯を平和運動に捧げた叔母が終戦記念日を前に、初めて会う夫のもとに旅立った。
昭和19年9月、叔母は長野県下久堅村(当時)で入籍をすませ、満州国の国境警備隊に従事している夫を訪ねたが、すでに沖縄県宮古島に水際戦闘部隊として移動した後で、会うこともかなわなかった。
敗戦となり、やっとの思いで満州から引き揚げてきた叔母のもとには、終戦15日前の7月30日、宮古島にて餓死をしたという事実証明書が陸軍大佐から送りつけられてきた。
以来、叔母は独身を貫き、今日まで平和を守る道をひたすら歩んできた。
不運の中にも信念を貫く強さとやさしさに、多くの人を魅了し慕われてきた。
101才の花嫁の旅立ちには、コロナ禍で見送る事もできなかったが、お世話になった施設のみなさんが、精いっぱいの野辺のお見送りをしてくださったとのこと。
今、叔母はむこうで待っている夫にやっと会え、「いつの世も平和であること」を話しているに違いない。